実は鳥取県は、しゃぶしゃぶ発祥の地であり、全国初の牛の戸籍管理を実行し、和牛日本一を競う審査大会にて1等賞を獲得した隠れた牛の名産地なんです!鳥取県の産業や信仰とも深〜く結びついてきた牛とのつながりを学んでみましょう。

大山寺博労座図 広重伝図(鳥取県立博物館所蔵)

西日本屈指の秀峰大山(だいせん)は、霊山として古来より人々の信仰を集めてきました。その山腹にある大山寺への参拝者が、 牛馬を連れてお参りするようになったのは、平安時代に基好上人が「大山寺の地蔵菩薩は牛馬守護の仏である」と唱え、お守り札を施したのが始まりであると伝えられています。

このお札を受けようと集まった参拝者の間では、互いの牛馬の自慢話が飛び交い、比べては交換するようになったのが大山牛馬市の始まりとされています。

江戸時代になって、当時の大山寺領山奉行によって組織的に改革され、広島県久井の牛市、 福島県白河の馬市と並ぶ日本三大牛馬市として「袖の下から値を決めて お手々叩いて何百両 これで博労がやめらりょか」と唄われるほどに隆盛をきわめました。

現在も地名として残る大山「博労座」は、牛馬の売買をする商人を指した「馬喰」が集まって市を開いた場所をいい、当時の面影を残しています。

中国山地とその周辺では、古くから和牛の放牧が盛んに行われてきました。その理由は、浸食の進んだ老年期の山の地形が、なだらかな高原として放牧に適していたことがあげられます。

また、花崗岩からなる中国山地は砂鉄が豊富に採れ、これを原料とする日本の伝統的製鉄法である鑪(たたら)製鉄が盛んに行われました。 中でも山陰地方は真砂(まさ)と呼ばれる刃物生産に適した良質の砂鉄を産出したことから、今でも各地に多くの鑪跡が残っています。

鑪では、原料である砂鉄とほぼ同量の木炭を消費します。そのため、砂鉄に比べて量のかさばる炭は近くから運ぶ必要があったことから、 鑪を設置する場所は、「砂鉄七里、炭三里」の位置が良いとされました。一つの鑪を年間維持する木炭を生産するのに九十ヘクタールもの山林が広範に伐採され、 その跡地は火入れをして牛馬の放牧地に使われました。

鑪場では、原料の砂鉄や木炭など、いろいろな物資が牛馬により運搬されましたが、古い記録によると、牛は距離にもよりますが、一度に二十三貫(炭俵十五kg×六個)=九十kgの荷物を運搬したといわれています。

因伯種標準体型制定の県訓令(鳥取県立公文書館所蔵)

鳥取県は、大正八年(一九一九)和牛の改良目標である「因伯種標準体型」を制定し、翌年には、全国で初めて「和牛の登録事業(和牛の戸籍管理)」に着手し、 血統登録と改良目標に基づく肉用牛としての本格的な育種改良を開始しました。

牛の戸籍管理を行うには、当然のことながら一頭一頭の識別が必要となります。全身真っ黒な和牛の固体識別には、 この当時、頭、うなじ、背中などにある毛の渦(旋毛)の有無、その数と位置を記録して行われていたようですが、 昭和三十八年(一九六三)からは、より正確な鼻紋法に代わりました。

鼻紋とは、牛の鼻の表面にある紋様で、人の指紋と同じように生涯変わることはありません。

昭和四十一年に岡山県で開催された第一回全国和牛能力共進会(五年に一度開催される和牛日本一を競う審査大会) 肉牛の部・産肉能力区で一等賞の栄冠に輝いたのが鳥取県の雄牛「気高」(けたか)号です。

この発育・資質ともに良好、かつ大柄で産肉能力に優れた名牛は、生涯九千頭以上の子孫を残し、 現在の有名ブランド牛の始祖として和牛界の歴史に不朽の名を残しています。現在その血統は、県畜産試験場のスーパー種雄牛「勝安波」に引き継がれています。


気高号後代検定成績証明書

牛肉料理としての人気のあるしゃぶしゃぶ。実はそのルーツは鳥取にあります。

北京料理のラム肉を使った「刷羊肉(シュワンヤンロウ)」がしゃぶしゃぶの原型とされています。厳しい寒さで凍り付いた羊肉を、仕方なく薄切りにして湯に入れて戻してみるとやわらかく美味しく食べられてたことから広まっていきました。

日本に伝えたのは、第二次大戦中に中国に軍医として赴任していた鳥取出身の民藝運動家の吉田璋也といわれています。戦後、京都祇園の料理店「十二段家」で羊肉を牛肉に変え、ごまだれを使うなど柳宗悦や河井寛次郎らからアドバイスを受けて、日本式しゃぶしゃぶ「牛肉の水炊き」が誕生しました。

1962年、吉田は鳥取市に「たくみ割烹」を開店し「牛肉のすすぎ鍋」としてメニューに出しました。今でも直系の味が楽しめます。